| 1934-1945 ゼネラルブランドの誕生、洋紙カーボン紙の時代へ |
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社業がますます発展しつつある1934(昭和9)年、重之助は東京出張中に病を得て急死。永清堂は長男の久一郎が重之助を襲名して跡を継ぎ、東洋複写紙製造合資会社は、前年学業を終えて入社し、洋紙カーボンの開発を行っていた三男の寛蔵が、急遽引き継ぐことになった。そして四男の正雄は専務として営業を担当し、社長である寛蔵は、製造と技術面を担当するという基本体制ができ上がった。 そして1935(昭和10)年、洋紙カーボンを「ゼネラル」のブランドで発売し、ミカド印の和紙カーボンと並売を開始した。当初、ゼネラルカーボン紙は知名度も低く販売に苦労したが、品質の良さを認められ、急速に市場に浸透していった。 |
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昭和16年6月21日 |
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今里工場正門前に立つ
故芦田正雄(昭和初期撮影) |
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昭和14年3月23日 秋季運動会 伊勢神宮にて。
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昭和14年10月25日 東洋複写紙商店工場
産業報国会結成式 職場にも戦争の影が忍び寄る |
昭和15年3月21日
未成年男子の親睦会として 朋友会(ぽんゆうかい)発足 第1回例会で四条畷神社へ向かう。 |